幽霊ちゃんのひとりごとマシンガン

好きな曲への気持ちを爆裂個人解釈でいっぱいしゃべる

僕は慌てて両目を塞いだ 真実など見たくもないから

 

なにかを見ていてなにかがあった時、そっかと思えるかどうかが大事だと最近思う。そのそっかという気持ちが、捨てたいものではないかどうかということだけが永遠に重要で、

それはもはや自分にしか関係ないしそれが伝わらないし、だれにも伝わらなくてよくて、だけどそう思う時なんか生活ってわるくないな〜って思える。何言ってるかわからない案件かも。

何があっても好きなものが好き!というような確固たる意志とは違って、もっとずっと遠い位置からぼんやりと眺めていて、ああ、そうなんだなとだけただ思う。だけど、そのああそうなんだなと思った気持ちと思い出を忘れたくないと思う時に、これって自分で言うところの好きという気持ちなのかもなと思う。そもそも、誰であろうとなんであろうとどんな理由があってもわたしとなにかの間には分厚い曇りガラス的なものがあって、そこにはなんとなく時差もあるような、そんなことを子供の頃からずっと考えている。だからそっかと思ったことをわざわざ覚えていることはもはや自分にとっての愛だよなと思う。どうでもいいの向こう側に行き過ぎて時々、お風呂に入ってる時とかイヤホンを忘れた帰り道とかに地面を眺めながらそんなことを考える。勧誘によく合う。目を合わせて無視する時、本当にガラスがあればなと思う。幸せになれるとか言って馬鹿にしてると感じる、実際自分のこと幸せにできるのはバンドとかですらなくそのチケットと音源を買う自分だから。好きなものの存在も助かるがそれを探せる自分の検索能力だけ信頼してる

 

こういうふわふわしたファンタジーなこと考えてると現実をもっと見なきゃなと思う気持ちも生まれるんだけど、なんかもう、現実ってどうしようもなさすぎて、見る意味がないと思うんだよな。大切なものだけ大事にしてひとつも思ったこと言いたくない。助けてほしいと絶対に助けないでほしいの勝ち目のなさすぎるバトルが起きる。関係無いけどこれのことファンタジーって呼ぶのも違う気がする。現実的じゃないからファンタジーだなと思ってるんだけど。

 

そんな時やっぱり社会じゃなさすぎる好きな曲を聴くとこれを好きと思える人生でよかったなと思って、この記事の最初にループする。

DEZERTのことよくそっかと思ってる。そっかと思って10年が経とうとしている。